07 First battle
ナジミの塔はアリアハンで一番高く、そして一番古い建造物で、ナジミという大賢者が自身の研究に集中するため幾年もの月日を費やして建設したという伝説が残されている。
伝説の真偽の程は分からないが、ナジミの子孫であるらしい者は代々ナジミの塔の最上階で暮らし続けていることは知られている。それは稀に彼らがアリアハンに顔を出すことがあるためだ。
そのナジミの塔に通じる唯一の場所が岬の洞窟。その入口からすでに禍々しい空気が立ち込めている。
「今にも魔物が出てきそうな気配を感じます…」
ミルクが不安げに周囲を見回す。実際にはほとんど魔物を見たことがない彼女だが、その場の空気から危険を感じ取れるらしい。
「君、勘がいいな。いきなりお出ましだ」
リックが顎をしゃくる。前方から青い液体状の魔物スライムが二匹、頭蓋骨を脚で掴んで飛んでいる鳥の魔物おおがらすが現れた。
「見たところ大した敵ではないようだが、油断は禁物だ。やつらは俺達を殺しに来ているからな」
リックは背中の鞘から『どうのつるぎ』を取り出した。使い込まれたその刃は彼の手にしっくりと馴染んでいる。
ほぼ同時にレオも自らのどうのつるぎをゆっくりと構えた。こちらは新品。旅立ちの前にソフィアが贈ってくれた大切な一本だ。鍛えられた刃身がかすかにきらめく。
戦闘体制に入る二人を見たルナも腰に付けていた『てつのつめ』を左手に装着し、構えた。
「ミルクは様子を見ていて。僕たちだけで大丈夫」
ランスを両手で握り締め、戦闘体制に入ろうとしたミルクをレオが制する。貴重な回復役を不用意に前線に立たせることは避けたい。これはパーティを統括する者として冷静かつ的確な判断であった。ミルクはレオの意図を理解して武器を下ろした。
「まずは僕が行こう」
レオが軽く素振りをする。その姿には余裕と落ち着きがある。
(さて、お前の実力を確かめさせてもらおうか)
レオの背を見つめながら、リックは自然と胸が高まるのを感じていた。
アリアハンの兵士長である自分も、かつては天才と謳われた。18歳で兵士長に抜擢され、剣の腕に自信を持っていた。しかし、その就任式の日に、たった10歳の少年――レオに敗れた。
(レオは昔から勝負事が大好きだからな)
リックが初めてレオに剣を指南したのはレオがまだ6歳の頃。剣を手にした彼は驚くべきことを口にした。
「兵士長の就任式の日にリックさんを倒してみせる」
まだ、リックが兵士長になるなんて誰も思っていなかった頃に、レオは高らかにそう宣言したのだ。子供の戯言として笑い飛ばすこともできたが、ずっと心の奥底に引っかかっていた。
そして、四年後にリックは本当に兵士長になり、かつての宣言通りその日に勝負を挑んだレオはリックに完勝してみせた。リックがどれだけ努力しても、レオの才能には遠く及ばなかった。
(レオは、俺の実力だけじゃなく、自分の実力を本当によく理解している)
それでも剣術の指南を頼まれた。教えられることなど殆ど無かったが、リックはどんな時であっても彼の力になりたかった。いつか魔王と対峙するであろう、この少年の力に。
そんなリックの思いを背に受けたからなのかは分からないが、攻撃態勢に入る直前、レオは呟いた。
「無駄な力は使うな」
ゆっくりと歩を進めたレオに、スライムが体当たりを仕掛けてきた。
「はっ!」
その瞬間、レオが頭上にあったどうのつるぎを振り下ろす。
一刀両断…!
あまりにも一瞬。スライムは自らが倒されたことを理解する暇もなく、その場に崩れ落ちた。
「今の言葉は…」
レオの見事なまでの剣術とその一言によって、リックの高揚感がさらに高まる。
「リックさんが教えてくれたことです」
冒険の戦闘は、訓練と違って連闘は当たり前である。だからこそ余力を常に残して戦うようにリックはレオに指導してきた。
「お前、覚えていてくれたのか…?」
「師の教えですから」
「レオはリックさんのことを尊敬していますからね」
レオとルナの言葉を聞いて、リックは涙腺が緩んだ。自尊心を押し殺してでもレオを指南してきてよかったと心から思った。涙を見せまいと、彼は言葉を発せず、攻撃態勢に入ろうとしたおおがらすを一太刀で葬った。
最後に残されたスライムは一定の距離を保ちながらこちらの様子を見て攻撃の機会を伺っている。
「レオ、最後のスライムは私に任せて」
先程のスライムへのレオの攻撃を見て、自分だけでスライムを倒せるという確信が持てた。
「気をつけて」
レオが短く許可を出す。その目はきちんと魔物に向いたままだ。いかなる時であっても敵から目をそらすことがないのはレオの本能ともいえる行動である。
「安心して。一撃で仕留めるわ」
ルナは深く息を吸い込み、身を低く構えた。
(お父さん、お母さん…あなたたちが遺してくれたこのてつのつめを使わせてもらうわ)
ルナは素早さには絶対の自信を持っている。そんな彼女が瞬時に間合いを詰めると、一気にスライムを射程に捉えた。
「ちぇすと!」
掛け声と共に鋭利な三本爪がスライムを切り裂く。それは、素早く、それでいて華麗で優雅さのある攻撃だ。魔物は断末魔の声すら発することもなく、地に伏し、絶命した。
「終わったわね」
いとも簡単に倒したとはいえ、ルナにとっては初めての魔物との戦いだ。安堵の表情を見せた。
「みなさん、お強いですね。すごいです」
ミルクはアリアハンでレオの戦いを見た時のように驚嘆の声をあげた。
「初陣としては上々だな」
レオは、初めての戦闘に手応えを感じ、満足げに述べた。隣に居るルナも安心したように微笑んだ。しかし、余韻に浸っている余裕はない。新たな魔物が現れる前に四人は足早に奥へと進んでいった。
その後、岬の洞窟内では魔物は襲ってこなかった。しかし、ナジミの塔に足を踏み入れた途端、状況は一変する。年月の経過とともに洞窟の魔物は塔へと移り住み、塔の内部に多くの魔物が巣食っていたのだ。
スライムやおおがらすに加え、大きな蛙の魔物フロッガー、毒を持つスライムの変種バブルスライムまでもが次々と姿を現す。それでも、四人は息の合った連携でこれらの群れを難なく撃破していった。
やがて一行はナジミの塔の最上階――四階に到達した。
「ここは…?」
ルナが小さく呟いた。階段を上った先に広がっていたのは、下階のような迷路道ではなく、質素な一室だった。部屋の中央に机が置かれ、分厚い研究書を広げた老人が一人、椅子に腰を下ろしている。書斎のような光景だが、塔の頂上にあると思うとどこか異様だった。
「何じゃ、お主たちは。こんなところに何の用じゃ?」
老人が顔を上げた。長い髭を撫でながらこちらを見据えるその姿は、誰の目にもこの異様な部屋の主であることを示していた。
「お久しぶりです、ナジミ様。リックです」
「おう、リックか。久しいのう」
リックは、この老人――ナジミがアリアハンに出てきた際、何度か顔を合わせたことのある旧知の間柄だった。ナジミは思いがけぬ再会に、懐かしむように目を細めた。
「兵士長のお前がわざわざ出向くとは、ただの挨拶ではあるまい」
机の上の書を閉じ、ナジミはゆっくりと背もたれに身体を預ける。
「はい。実は、いざないの洞窟が土砂崩れで閉鎖されてしまいました」
「なんと、それは一大事じゃのう」
「はい、彼らも大陸を出るために急いでおります」
レオ、ルナ、ミルクがそれぞれ真剣な表情でうなずいた。塔の窓の外では風が低くうねり、古びた壁を叩くように音を立てている。
「うーむ…残念ながら今のワシにはどうすることもできん」
ナジミは、小さく息をつき、肩をすくめて続けた。
「昔のワシなら魔法で何とかしてやれたかもしれんが、年を重ねるごとにどうしても魔力は衰えてしまうんじゃ」
それを聞いた四人は落胆の色を隠せなかった。このままではいつになるかも分からない他国からの船を待つしかない――そう諦めかけたそのとき。
「…じゃが、希望がないわけではない」
「何か、手が!?」
「リックよ、そう急くな。お主たち、レーベにそこの扉と同じ『朱い扉』が在るのを知らんか?」
ナジミが指を差したのは、街の中にしては、異質な朱色の木製扉だ。
「そういえば…」
ミルクが口を開く。何か心当たりがあるようだ。
「教会近くの家で見かけました。印象的な色だったので、覚えています」
情報収集中に偶然見かけた扉があまりに鮮やかな色をしていたので記憶に残っていたらしい。
「そう、それじゃ。ならば話は早い。その家にワシの古い知り合いのじいさんが住んでおる。あやつは魔法道具の研究をしておってな。もしかしたら洞窟の石を破壊できる道具を持っているかもしれん」
「レーベに向かえばいいんですね」
「お嬢さんも気が早いのう。話はまだ終わっとらん」
人の話は最後まで聞くもんじゃ、とナジミがルナを宥める。
「この扉は特殊な構造でできておって、こじ開けようとしても開かん。とはいえ、中のじいさんは研究に没頭しておるから、外で何をしたところで気づきはせんじゃろう。そこでじゃ…」
そう言うと、ナジミは机の引き出しから奇妙な形をした鍵を取り出し、レオに放り投げた。
「その『とうぞくのかぎ』で扉を開けるんじゃ。バコタから巻き上げた頃は使うこともあったが、わしにはもう必要ない。くれてやるわ」
とうぞくのかぎは、世界三大泥棒の一人、バコタが作り上げたと言われる特殊な鍵である。簡易な施錠ならたちどころに開けてしまう、盗賊垂涎の代物である。
「ありがとうございます」
レオは礼を言って、それを袋の中に大切にしまった。
「それと、これは餞別じゃ」
ナジミは立ち上がり、棚から小さな瓶を取り出すとレオに手渡す。薄く青みがかった液体が入った小さなガラス瓶だ。
「これは『せいすい』じゃ。これを身体にふりかけると一定時間魔物が近寄れなくなる。一刻も早くアリアハンに戻りたいじゃろ。一本でちょうど四人分の効果がある」
言われた通り、四人は順番に聖水をふりかけていく。見た目は水と変わらないが、服にしみることもなく、不思議な感触だった。
「これで本当に魔物が…?」
「大丈夫じゃ。万が一効かなくてもリックの腕があれば何とかなるじゃろ」
リックは苦笑しながらもナジミの言葉を信じることにした。
「では、王に報告した後、すぐにレーベに向かいます。ご協力感謝します」
リックの言葉に続いて三人も頭を下げた。そのまま階段に向かおうとしたとき――
「そうじゃ! レオ、と言ったな。ちょっと待ってくれ」
レオは振り返る。
「一つだけ訊きたいことがある」
「何でしょうか」
「自分は、魔王に勝てると思うか?」
ナジミの突拍子もない問いにレオ以外の三人は目を見開き、レオの表情を伺った。しかし、レオは躊躇うことなく力強くうなずく。
「はい」
短いその言葉には、確固たる自信が満ち溢れていた。ナジミは彼の揺るぎない意志を感じ取り、満足そうに口元を緩めた。
「そうか。いきなり妙なことを訊いて悪かったな。アーク王によろしく伝えておいてくれ」
レオたちが階段を降りていった後、ナジミは誰もいない部屋で独りつぶやいた。
「ふむ、やっぱりわしの夢はよく当たる。オルテガの息子に鍵を渡す夢も正夢となったわい」
ナジミは予知夢の鮮明な映像を思い出す。歳月を重ねたその声には、どこか誇らしさと感慨が混じっている。
「オルテガよ。お主の息子はずいぶんと立派に成長したもんじゃ…」
そう言ってナジミは机に置いてある一冊の古びた本をゆっくり手に取った。部屋には再び本をめくる音だけが響き渡り始めた。