08 Red bomber girl
アークは部屋を何度も行き来していた。報告の結果によっては他国に頼んで船をアリアハンに出帆してもらわなければならない。
しかし、鎖国政策を敷くアリアハンに快く協力してくれる国などどれほどあるだろうのか。彼の焦燥は、そんなことをいつまでも考えていたくはない、いい知らせが早く届いてほしいという切実な願いからきていた。
「王様…お気持ちは分かりますが、そう気をお揉みになられても早く帰って来られる訳ではありません。それに、普通に考えて戻ってこられるのは昼過ぎです。どうかお座りになってお待ちください」
脇に控えていたポコがアークを諫める。しかし、アークは玉座に腰を下ろそうとしながらも、なお落ち着かぬ様子で声を荒げた。
「し、しかしだな…」
そんなアークに朗報が入ってきたのは、渋々玉座に座ろうとした瞬間だ。
「王様、兵士長がお帰りになられました!」
「そうか! すぐに通せ!」
兵士の報告にアークはわずかながら安堵する。そしてポコの方に目を遣った。何も言わなかったが、その目は「お前が言ったより早かったじゃないか」と語っていた。ポコは頬をかきながら大層ばつの悪そうな顔をしている。
程なくして、アークが待ち焦がれていた四人が階下から姿を現した。
「四名、戻りました」
リックがアークに一礼をした。
「うむ、ご苦労。随分と早い帰還であったな」
先程の焦りを微塵も感じさせず、アークは余裕をもって応えた。その口調は、王としての品格を意識してのものだ。
「して、どうであった?」
単刀直入に尋ねるアークに、リックが答える。
「残念ながらナジミ様でもどうすることもできないとのことでした」
「ナジミでも駄目だったか…」
アークは沈痛の面持ちで、深く息を吐いた。
「しかし、まだ手立てがございます」
そこでレオが話に割って入り、落胆するアークに、ナジミから聞いたレーベの老人の話を伝えた。
「そうか…それが最後の望みになりそうだな」
「ナジミ様の言葉なら、期待できるものと思いますぞ」
ポコが力強く付け加え、アークの不安を和らげる。これで駄目ならいよいよ他国の力を借りなくてはならない。
「僕たちはこのままただちにレーベに向かいます」
アークは複雑な思いを胸に押し込み、険しい表情で声をかけた。
「休んでくれといいたいところだが…頼んだぞ」
アークの期待を背に、レオたちは休む間も無くそのままレーベに向かう。陽光はすでに空を満たし、街の輪郭を鮮やかに照らしている。道ゆく人々も日常の営みに忙しく、彼らの急ぎ足を後押しするかのようだった。
再び訪れたレーベの村。ミルクが先導し、ナジミの言っていた扉のある家を目指す。
「あそこがナジミさんの仰っていた扉のお家だと思います」
ミルクの視線の先には、確かにナジミの塔で見た扉と同じ朱色の扉があった。一般的に黄色や茶色が多い扉の中で一際目立っている。その家の煙突からは煙が立ち上がっており、住民がいることは間違いなさそうだ。
「鍵は…閉まっているな」
リックがそのまま扉を開けようとしたがやはり開かない。叩いてみても反応はなかった。
「鍵を使うしかないんじゃない?」
「そうだな」
ルナに促されて、レオは袋の中からナジミに貰ったとうぞくのかぎを取り出し、鍵穴に差し込んだ。軽く回すと『カチャッ』という音がかすかに聞こえた。
「開けてみよう」
レオが取っ手を回すと扉はあっさりと開いた。恐る恐る中に入ると、熱心そうに梯子の上で大きな壷を掻き混ぜている老人がいた。ナジミが言っていた老人は間違いなくこの人物であろう。外からいくら呼びかけても気づかなかったのも納得がいく。
「すみません」
近寄ったレオが話し掛けても老人は気付く様子がない。
「すみません!」
「お、おわっ!?」
大声で呼びかけたのはリックだ。ようやくレオたちの存在に気付いた老人は驚きのあまり梯子から足を滑らせ、勢いよく尻餅をついた。
「いたたた…危うくギックリ腰になるとこだったわい」
「申し訳ありません。急いでいたもので、つい」
リックの謝罪に、老人は「構わん」と言いながらも痛そうにその場に座ったまま話を続ける。
「一体何の用だ? そもそもどうやってここに入った? あれは簡単に開くような扉ではないぞ?」
レオが手に持つとうぞくのかぎを見せた。
「それは…ナジミの使いか。使いを送るようになるとは、あやつも遂に腰にきたか」
「いえ、王様の使いなんです」
ルナの言葉に老人は眉間に皺を寄せた。老人にとっては、ナジミとアークが頭の中で全くつながらなかった。
「鍵はナジミから預かったんだろう?」
「ええ」
ルナの返答を受けて、老人はさらに考え込む。
「なら、なぜ王様が関係あるというんだ?」
ここでリックが口を開き、事情を説明した。
「実は…こういう経緯でして…」
「なるほど。うーむ…」
老人は説明の内容こそ理解したものの、ますます眉間に皺が寄ってきた。
「あの洞窟の岩を壊す道具か…」
老人は辛そうに立ち上がると部屋の奥に行き、宝箱らしき箱の中から何かを取り出して戻ってきた。
「これなら土砂くらいは簡単に弾き飛ばせるだろう」
老人が手にしているのは、ピンク色の球体だ。文字が書かれた帯が巻かれており、上部には導火線らしき物が見える。大きさはそれほどでもないが、どうやら爆弾のようだ。
「これはわしの作った『まほうのたま』。威力は絶大だ、おそらくな」
「おそらく…ですか?」
老人の微妙な言い回しにミルクが首をかしげる。
「物自体は完成しているんだが、わしにもこの道具は使えんのだ」
「どうしてですか? おじいさん自身が作ったんですよね?」
四人を一瞥しながら、老人はルナの問いに答える。
「このまほうのたまは大きな魔力を玉の中に込めて初めて使える代物でな。残念ながらわしにそこまでの力がもうない。お前たちの中にも魔法使いはいないようだな」
「魔力なら私にもあります」
ミルクが回復呪文を使えることを説明する。
「お嬢さんの魔力は正の魔力だ。まほうのたまには負の魔力が必要なんだ」
老人の言う魔力は、ミルクの持つ魔力とはまた違ったものらしい。
「王宮に有能な魔法使いはおらんのか?」
レオとリックは首を横に振った。軍事力には一定の力を入れているアリアハンだが、魔法のこととなると話は別だ。大陸での魔法使いと言えば他に高齢のナジミ程度で、宮廷には現在誰一人として魔法使いは仕えていないのだ。
「そうか…これはたいへん危険な道具だ。使わん方がいいかもしれんな」
「他に何かありませんか?」
「残念だが、あそこの土砂を壊せるようなものはこれしかない」
「それなら、そのまほうのたまをどうにかして使えないんですか?」
「うーむ…」
執拗に食い下がるリックに老人が困り果てていたその時だ。
「くっくっく…どうやらあたしの出番みたいね」
全員が笑い声のした方に目をやると家の地下から一人の少女がゆっくりと上がってきた。
鮮やかな赤い髪は綺麗にカールされ、両耳にはイヤリングが揺れている。肩を大胆に露出した深緑色のローブは、軽やかに揺れている。彼女の歩みには確かな自信が漂い、その瞳には何か秘めた強さを宿している。
「あたしに任せなさい」
その言葉は、レオたちに期待を抱かせるのに十分な自信がみなぎっていた。
「君は?」
レオの問いに、彼女は胸を張って堂々と名乗った。
「あたしは、マリン=ラテ。天才魔法使いよ」
『天才』という部分に誰もが一瞬引っ掛かりを感じたが、彼女は気にも留めず話を続ける。
「まほうのたまが必要なんでしょ? アリアハンでそれを使いこなせるのはあたししかいないわ」
自信満々のその声は、まるで風が新たな希望を運んでくるようだった。しかし、そんな彼女を老人が制止した。
「マリン、これはお前が思っている以上に危険なものなんだぞ」
マリンはひるむことなく、毅然とした態度で応じる。
「あら、おじいちゃんだってあたしの力を知ってるでしょ?」
「しかしな…」
このやり取りを見ていたレオは、可能性にかけてマリンに話しかける。
「君ならまほうのたまを扱えるのか?」
「ええ、間違いなく」
マリンは自信たっぷりに笑みを浮かべた。
「おじいちゃんは過保護なのよ。確かにこれは一歩間違えば死に至る危険な道具よ。でも、あたしは絶対に失敗しない」
老人は黙り込み、複雑な表情をしている。彼女の力を認めつつも、まほうのたまの危険性に不安を感じているのだろう。
「君さえよければお願いしたい」
危険性の話をされたばかりで、レオの胸中にはためらいがある。しかし、他に方法がない以上、その迷いを押し殺して彼女の申し出に賭けるしかない。
「ええ、もちろんよ」
マリンは迷いなく答え、レオの願いをすくい取るように受け入れた。その瞳には、ためらいを知らぬ光があった。
「でも、一つ条件があるわ」
その勢いのまま、彼女は人差し指をピンと立てる。
「こっちは命懸けでやるんですもの。いいでしょ?」
「ああ」
短い逡巡の後、レオはうなずいた。彼の中でもまだ迷いは残っていたが、同時に彼女への確かな期待も芽生えていた。
「なあに、簡単よ。あたしもあんた達の旅に連れて行ってちょうだい」
レオの返答にマリンが今度は不敵な笑みを浮かべた。
「な、何言ってるんだ!?」
老人が一早く反応した。その剣幕はこれまでの比ではない。
「あたしももう18だし、そろそろ自分の力を試してみたいのよ」
「気持ちは分かるがまだ…」
「で、どう? この条件をのむの? のまないの?」
老人の心配を跳ねのけるようにマリンはレオに返答を迫る。レオはルナとミルクに目を向けた。二人は、レオの判断にゆだねるという表情をしている。
「構わない」
ミルクに続いて、魔法を使える仲間は大きな戦力になる。彼女の自信も決して虚勢には見えず、頼りになりそうだと率直に思えた。
「ただ、長旅になるから話はつけてほしい」
いくら彼女も希望しているとはいえ、家族の同意なく連れていくわけにはいかない。
「だから言ってるでしょ? あたしが行くしか手はないのよ」
「いざないの洞窟の一件はしかたがないとしても、旅に出ることを許した覚えはないぞ!」
マリンと老人の話は平行線のままで、譲歩の兆しは見えない。
「どうして君は旅に出たいんだ?」
その膠着を見かねて、レオがマリンに助け船を出した。
「さっきも言ったけど、自分がどれだけやれるのか試したくて、ずっと旅をしたかったのよ」
そう言ってマリンは老人を見た。
「そこにいるおじいちゃんはムーヴっていうそれなりに名の知れた魔法使いなのよ。あたしは、生まれてからずっとそのおじいちゃんに立派な魔法使いになるように育てられてきたわけ」
老人――ムーヴが感慨深そうに頷いている。過去の記憶をたぐり寄せるような遠い目をしている。
「今ではおじいちゃんも認めるくらいの力がついたけど、そうなったらどこまでの力があるのか試してみたくなるのが筋ってものでしょ? でも、この大陸にはそんな場所がないのよ」
マリンの語る声は淡々としてはいるものの、表情は真剣そのものだ。気まぐれなどではなく、悩み抜いた末に決断したことなのだろう。
「それともう一つ」
彼女の表情がひときわ固くなった。
「あたしには行かなければならないところがあるのよ」
その一言に、黙して聞いていたムーヴの表情が一変した。
「…分かった。行ってこい」
急にムーヴが折れた。今交わされたやりとりの真意はレオたちには分からなかったが、祖父と孫だけに通じる『何か』があったのだろう。
「お前なら皆さんの足を引っ張ることもないだろう」
「そんなのあたりまえよ」
ようやく話がまとまった。マリンは飄々としているが、その横でレオたちは胸を撫で下ろした。
「もう時間が時間だし、出発は明日にしましょ」
窓のない密室であるため気が付かなかったが、外はすでに薄暮に包まれ始めていた。
「ここにはあたしたち二人しか住んでないし、ここに泊まって行ったら?」
老人も歓迎するというので、その厚意に甘えることにした。ただ、リックだけはアリアハンに戻って王に報告しに行くという。
「徒歩で? 何日もかかるじゃない」
マリンがそう言うのももっともだった。アリアハンまで徒歩で戻っていては、いざないの洞窟の復旧にも影響が出てしまう。
「王も案じておられるからな。アリアハンには俺一人で向かうから君たちは洞窟の方を頼む」
兵士長として、復旧の見込みが立ったことをアークたちに報告して安心させる義務がある。
「それならこれを使えばいいわ」
マリンが懐から取り出したのは、光沢を帯びた一枚の羽根だった。白地に淡い青が差し込むような色合いで、自然の造形とは思えぬほど均整の取れた形をしている。羽根の軸には細かな刻印が彫り込まれ、微かに温かい魔力の脈動が伝わってくる。
「これは一体…?」
リックはマリンからその羽根を受け取り、その軽さに驚いた。
「『キメラのつばさ』よ」
それは、大空を自在に翔ける怪鳥キメラの羽を精製し、古代の転移術を封じ込めた携行道具である。一度でも訪れた町などに瞬く間に再訪させる力を持つ。
発動の仕組みは、旅人が唱える移動呪文『ルーラ』と同じだが、魔力の素養がなくとも使用できる点が決定的に異なる。
「噂には聞いたことがあるが、実物を見るのは初めてだ」
「何なんですか、それ?」
ルナがキメラのつばさを握ったリックの手を覗き込む。
「説明するより実際に使っているところを見せた方が早いわ。外に出ましょ」
ムーヴを残して、一行は外に出た。屋内での使用は危険なものらしい。
「使い方は簡単よ。上に放り投げて行きたい場所を想像するだけ」
マリンがリックにアリアハンを思い浮かべながらキメラのつばさを上空に投げるよう指示した。
「こうか?」
リックが指示通り空高く投げると、リックの身体が光りに包まれ――次の瞬間、忽然と姿を消した。
「消えた」
「どうなってるの…?」
レオとルナが息をのむ。二人は呪文や道具の類に関しては疎く、ミルクのホイミが初めて触れた呪文であるほどだ。
「今頃アリアハンに着いているはずよ。もう一枚渡したからそのうち戻ってくるでしょ」
マリンのあっさりとした口調が、つい先程までの衝撃を現実に戻す。
「すごく便利な道具ですね…」
ミルクが感嘆の息を漏らす。
「これくらいで驚いてもらっては困るわ」
マリンは肩をすくめ、裾をひらりと翻して家の中に戻っていった。残された三人には、リックの残像がまだ揺れていた。
翌日。リックがキメラのつばさを使い、アリアハンから戻ってきた。リックから報告を受けたアークやポコは、先行きが見えたという意味では安堵の表情を浮かべたそうだ。
リックはというと、初めて経験した瞬間移動の感覚がまだ抜けないのか、目を丸くしていた。
「出発しましょうか」
マリンは昨日の大胆な服に、首元からオレンジのマントを結び、大きな黒い帽子を被っている。まるで絵本から抜け出したような、典型的な魔法使いの恰好だ。
「いざないの洞窟ならすぐに行けるわ。外に行きましょ」
マリンに促され、一行は昨日と同じように家の外に出た。
「キメラのつばさを使うのね」
ルナの言葉をマリンがすぐさま首を横に振った。
「あたしはルーラを使えるからそんなものいらないわよ」
マリンは自信を漂わせた。過去に洞窟に足を運んだ経験のある彼女なら、呪文一つで一瞬にしてたどり着けるようだ。
「マリン、気をつけるんだぞ」
見送るために外に出てきたムーヴの声には、短い言葉以上の重さがあった。
「安心して」
マリンの返事は、別れだというのに素っ気ないが、そこにはわずかな躊躇がよぎった。
「みなさん、マリンをよろしくお願いします」
ムーヴは改めてレオたちに頭を下げて、孫を託した。レオたちはそれに穏やかにうなずいた。
「それじゃ、おじいちゃん…元気でね」
「お前こそ、絶対に死ぬんじゃないぞ」
言葉を交わすだけでなく、祖父と孫は最後に互いの笑顔を見つめ合った。その微笑みは、別れの辛さをそっと和らげるかのようだった。
「ルーラ!」
詠唱と同時に、眩い光がマリンを包み込み、仲間たちの姿も掻き消えた。光が消えると、再び静けさだけが残った。残されたのは老人ただ一人。
「…行ったか」
ムーヴは昨日痛めた腰を叩きながら家の中に戻る。その仕草の裏には寂しさが溢れていた。
「寂しくなるのう」
ゆっくりと戸を閉めると、レーベの村はいつもと変わらぬ静寂に包まれた。