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06 Accident

 レーベはアリアハン北西部にひっそりと佇む小さな村である。アリアハン自体、決して繁栄しているとは言い難いが、それでも城と城下町を中心とした構えには、それなりの活気と規模がある。

 それに比べると、レーベの村は実に質素で、どこか取り残された印象すら感じる。教会、宿屋、武器防具屋、道具屋、といった建物がぽつりぽつりと点在しているが、後は民家が散在するばかり。夜ということもあるだろうが、村全体にはどこか物寂しさが濃く漂っていた。

 宿屋に泊まる前に情報収集を考えていたレオだが、これだけ人気がないのでは諦めるしかなかった。

「ねえ、レオ。その袋、ずいぶん大きいけど、何が入ってるの?」

 三人は今、宿屋の一室で卓を囲んでいる。せっかく仲間になったのだから少しでも交流の機会を持とうということで、就寝前にレオの部屋に集まっていた。

「金さ。王様からいただいたんだ」

 アークからほとんど押し付けられるようにして渡されたあの袋だ。レオは腰の袋を手元に引き寄せ、口をほどいて中をのぞかせた。金貨がぎっしりと詰まっており、灯りに反射してまばゆい輝きを放っている。

「…!?」

 ルナが思わず息をのみ、その隣でミルクも目を丸くする。そして、二人は顔を見合わせる。

「すごい…こんなにたくさんのお金、見たことないわ」

 ルナのつぶやきに、ミルクもうなずく。袋の縁からのぞく金貨は、手を入れればざらりと音を立ててあふれそうだ。

「断ったんだ。でも、どうしてもと言われて断り切れなかった」

 袋の中には一万ゴールドが入っていると聞いている。この宿の一泊の料金が一人5ゴールドだということを思えば、その金額がいかに破格かは想像に難くない。

「せっかくの王様の御好意だもの。素直に感謝して受け取る方がいいと思うわ。ね、ミルク?」

「そうですね。王様のお気持ちを大切にしたいですね」

 ルナの言葉にミルクも同意し、ようやくレオもうなずいて受け入れた。

「欲しいものがあったら遠慮なく言って。これはみんなのものだから」

 ルナは小首を傾けて考える。

「うーん…今は特にないかな。何かあったらレオを頼るわね」

「私も大丈夫です。困った時があれば御相談させてください」

 アリアハンで装備や道具を一通りそろえてきたこともあり、二人とも特に不自由は感じていないようだった。

「必要になったら言ってくれればいいさ」

 レオは大切そうに袋を腰に巻き直した。

「さて、そろそろ寝ようか」

 明日は朝早くにレーベを発つ予定だ。三人はそれぞれの床につき、窓の外の夜風が村を撫でるのを感じながら眠りについた。

 

 翌朝になっても、村はやはりひっそりと静まり返っていた。朝霧がまだ地を這い、屋根や草の先には白い露が光っている。かすかに聞こえるのは鳥のさえずりだけで、人影はほとんどなかった。宿に泊まっていたのもレオたちを含めて数組に過ぎない。

 教会や武器防具屋はまだ扉を閉ざしていたが、道具屋だけは既に開店していた。店内には干草の匂いが漂い、棚にはやくそうや旅人用の食糧が並んでいる。

 レオたちは立ち寄って主人に話を聞いてみることにした。

「この村は、近くにアリアハン城があるせいで昔からあまり発展しなくてね。みんな用事があるなら城に行くから素通りされてしまうのさ。商売も細々だよ」

 主人は、くたびれた布袋を棚に戻しながら、どこか諦めたように笑った。

「けれど、それも悪いことばかりじゃない。魔物に怯える必要もほとんどないし、子供たちものびのび育つ。まあ、流浪の旅人には退屈に映るかもしれんがね」

 そう言ってから、主人はふと思い出したように続けた。

「そういや、ここから南東に『いざないの洞窟』という場所があるのを知ってるかい?」

「いざないの洞窟…?」

 ルナにとっては初耳だった。

「アリアハンと他の大陸をつなぐ洞窟だよ」

 すかさずレオが答える。

「さすがレオ。本当に何でも知ってるのね」

 ルナは小さく目を見開き、感心したようにレオを見つめた。

「僕も行ったことはないけどね」

 アリアハン大陸から世界に出るにあたり、レオは以前から地理を学んでいたのだ。

「ここから近いのかしら?」

 ルナの疑問に今度はミルクが答える。

「近いとまでは言えませんが、そこまで遠くもないですよ」

「どうして知ってるの?」

「アリアハンに来るにはあの洞窟を必ず通らないといけませんから」

 いざないの洞窟は、アリアハンと他の大陸を繋ぐ唯一の陸路であるという。

「その洞窟に向かおう」

 主人に礼をして、店から出ると、村の静けさが夜と変わらず彼らを包み込んだ。

 三人は足並みを揃え、まだ見ぬ世界へ通じるといういざないの洞窟を目指して歩き出した。

 空は少しずつ青さを増していたが、まだ朝霞が道を覆っている。森の奥で遠く鳥が鳴き、湿った土の匂いが風に乗って運ばれてくる。道は平坦ではなかったが、三人は着実に歩を進めていた。

 そんな折だった。前方の森の向こうから鎧の擦れる音と複数の足音が聞こえてきた。しばらくすると紫の鎧兜を纏った兵士たちがこちらへ駆けてくるのが見えた。

「アリアハンの兵士だ」

 紫――アリアハンの象徴色で、ソフィアが選んだレオのマントにもあしらわれている。その色は、国の気高き誇りを示す証である。

「あんなに急いで…何かあったのかしら?」

 不安げにルナがつぶやく。兵士たちの表情には明らかに焦りが見えている。

「聞いてみよう」

 通り過ぎようとした兵士たちにレオが声をかけると、先頭の一人がレオに気づいて駆け寄ってきた。

「レオ! ここにいたのか」

 若い兵士長は、他の兵士たちに先に進むよう指示を飛ばし、自分だけが残った。

「リックさんじゃないですか」

「すまなかったな、見送りができなくて」

 その言葉に、レオは首を横に振る。リックも本来ならレオの門出を見送る予定だったのだが、旅立ちの直前に急な任務が入ってしまい、叶わなかったのである。

「ご無沙汰しています、リックさん」

「おお、ルナも一緒か」

 リックはルナのことも幼少の頃からよく知っており、武術の稽古をつけたこともある間柄だ。

「君は…初めて会うな」

 リックの視線が、ルナの背後に控えていた少女へと移る。じっと探るようにその瞳がミルクを見つめた。

「彼女はミルク。僕達と一緒に旅をしてくれることになった仲間です」

 ミルクが胸の前で手を合わせ、丁寧に頭を下げた。

「そうか。レオのことをよろしく頼む」

 その声にこもった期待は、まっすぐにミルクの胸へと届いた。しかし、レオにはリックの奥底に潜むかすかな翳りが見えた。

「それで、何かあったんですか?」

 レオが眉を寄せて尋ねると、リックは渋い顔をして頬を掻き、下を向いた。

「ああ…ちょっと、困ったことになった」

 彼の低い声に、三人の間に緊張が走る。

「お前たち、これからいざないの洞窟に行くつもりだろ?」

「ええ」

「非常に言いづらいことなんだが…」

 リックは苦しげに言葉を探し、やがて絞り出すように続けた。

「いざないの洞窟で土砂崩れが起きて、通行できなくなってしまったんだ。幸い、巻き込まれた者はいなかったが、商人や旅人が足止めされて困っている」

 三人の表情が一斉に引き締まる。アリアハンと他国を繋ぐ唯一の陸路がいざないの洞窟である。そこが塞がれたとなれば、海に囲まれた大陸のアリアハンから脱出する術は、もはや船を使うしかない。

 しかし、今のアリアハンは鎖国状態。自国の船を持っていないので、他国の助けを求めなければならない。

「あそこは入口が狭すぎて重機が入れない。崩れた岩は特殊な石でできていて、手作業での除去も簡単ではないらしく、復旧には相当の時間がかかる見込みだ」

 険しい表情をしながら唇を噛んだレオに対してリックはさらに言葉を重ねる。

「今からその報告を王様に伝えに行くところだったんだ。すぐに旅立てる状況ではないし、お前たちも一度アリアハンに戻った方がいいかもしれないな」

「しかたがないですね」

 レオの声色には落胆よりも現実を受け入れる覚悟が感じられた。

「そうね、ここでじっとしているよりは良いものね」

 ルナもまた、歩みを止めるより進めることを選ぶようにレオに視線を向けた。

 三人はリックに同行してアリアハンへと引き返すこととなった。朝霞に包まれた道を戻る三人の足取りは、行きよりもいくらか重い。旅は始まったばかりだというのに、早くも計画に狂いが生じていた。

「何か案のある者は?」

 アークの問いかけが重々しい空気の中で響き渡る。いざないの洞窟の土砂崩れの報を受けたアークは、直ちに城内の優秀な学者や兵士たちを召集し、対応策を協議させていた。鎖国中とはいえ、外界への唯一の通路が完全に塞がれたとなれば一大事だ。レオたちもリックに連れられ謁見の間に同席している。

「王様」

 学者の一人が進言する。

「ナジミ様に相談してみるのはいかがでしょうか?」

「ナジミか…」

 王は顎に手をやり、しばし思案する。

「確かにあの者なら何か知恵を授けてくれるかもしれぬな」

 ナジミとは、アリアハン大陸で最も有名な賢者だ。その聡明さは折り紙付きで、この困難を打開する案を示してくれるかもしれない。しかし、この提案に対して大臣ポコが異論を唱える。

「しかし、あの塔には魔物が巣食っていると聞き及んでおります」

 ポコの言う『あの塔』とはアリアハンの西にそびえる『ナジミの塔』のことだ。塔は海に囲まれており、近隣の『岬の洞窟』を抜けて進まねばならない。だが、洞窟にも塔にも古くから魔物の棲処となっている。

「そうだったな、今、ナジミはあの塔におるのだったな…」

 アークは再び考え込み、やがて皆に向き直った。

「誰かナジミの所に行ってくれる勇敢な者はおらぬか?」

 重苦しい空気が広がった。学者たちはもちろん、兵士すらもたじろいでいる。アリアハンでは一般市民が魔物に遭遇することはまずなく、戦闘経験など皆無に等しいのだ。

 そんな中、一人の兵士が名乗りを上げた。

「王様、私が参りましょう」

 リックが前に出る。視線が一斉に彼に注がれ、「やはりリックしかいない」と言わんばかりに彼を見つめる中――息を合わせたように、レオ、ルナ、ミルクの三人も続いた。

「僕たちも行きます」

「いざないの洞窟を一刻も早く復旧させないといけないですから」

「魔物の棲処にお一人で向かうのは危険です」

 アークは口元を綻ばせ、感心したように髭を撫でた。

「よかろう。では、四人に任せるとしよう」

 その決断が、場の空気をわずかに和らげた。

「レオのせっかくの旅立ちを足止めしてしまい、たいへん申し訳ない」

 その口調には、国を預かる者としての責任と、ひとりの人間としての素直な詫びが織り込まれていた。

「いえ、不慮の事故ですから」

 落ち着いた声で答えたレオは誰かを責めるような素振りを全く見せなかった。その言葉に、アークは目を細め、感謝の念を込めてうなずきを返す。

 互いに視線を交わし、一礼をしてから四人は王室を後にする。階段を降りながら、リックが感謝の意を述べる。

「本当に助かる。お前たちが一緒なら心強い限りだ」

 リックにも魔物への恐怖心がないわけではない。しかし、実力をよく知るレオとルナが同行してくれるのは大きな支えとなる。

「気にしないでください」

 ルナが柔らかく微笑んだ。彼女もまたレオ同様に落ち着きを失っていなかった。

「僕たちの初陣にリックさんが加わってくれて心強いです」

 レオの胸には複雑な思いが残っており、本心から出た言葉ではなかった。しかし、彼の瞳には事故のことを切り替えた強さと果たすべき使命への熱を宿っていた。その決意を乗せるように、四人の足音が王城の長い廊下に力強く響き渡った。

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