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09 Cave of good hope

​​「聞いていた以上にひどいな」

 いざないの洞窟地下一階。本来なら何の変哲もない湿った空気が漂うだけの通路は、今や天災の爪痕そのものだった。土砂崩れによって押し寄せた泥と岩塊が隙間なく積み重なって、わずかな隙間すら飲み込み、小さな虫一匹入り込む余地がない。事前に状況を聞いていたレオも、あまりの惨状に驚きを隠せなかった。

「本当にそれで全部砕けるの?」

 マリンが手にしているまほうのたまの大きさは、目の前の岩石の欠片にも遠く及ばぬほど小さい。ルナでなくとも不安がよぎるのは当然だった。

「思っていたよりは簡単じゃなさそうね」

 レーベでは自信ありげに語っていたマリンにとっても想定外の事態だった。

「とはいえ、全く心配はいらないわ」

 彼女は相変わらず自信満々だ。

「ここの土砂さえなくなれば先に進めるのよね?」

「ああ、向こうの調査隊の話だと閉鎖されているのはここだけだ」

 洞窟の入口と出口にはそれぞれにお互い連絡が取れるように簡易通信機が設置されている。アリアハン側はリックを始めとするアリアハン軍がその通信機の責任者となっている。

「それなら、一気に片をつけるわ」

 マリンは大きく深呼吸をした。まほうのたまを強く握りしめた。その腕はわずかながら震えている。それは緊張からくるものか、それとも武者震いか。

「落ち着いて」

 レオがマリンの肩を軽く置いた。

「落ち着いてるわよ」

 マリンも強がってみせる。

「あんたこそ随分余裕そうね。あたしが失敗したらあんただってただじゃ済まないわよ」

 不発なら問題はない。しかし、暴発、あるいは予想を超える大爆発となれば、この場にいる全員が巻き込まれる危険が高い。

「仲間を信じているだけさ」

 レオの発言に誰もが賛同している。彼らの表情は緊張に満ちているが、一方でマリンの成功を信じ、見守っているのだ。

「くっくっく…仲間、ね」

 マリンはまんざらでもない笑みを浮かべる。

「さあ、始めるわよ。あんたたちは下がってなさい。すぐにそこの障害物を吹き飛ばしてあげるわ」

 仲間たちがマリンから離れる。それを確認した彼女は、もう一度大きく深呼吸をし、右手に握ったまほうのたまを前に突き出した。

「はあっ!」

 掌に全神経を集中させる。すると淡いピンク色をしていたまほうのたまがみるみるうちに深紅に染まっていく。

「ぐっ…」

 マリンの顔も次第に赤みを帯び、苦悶の表情を浮かべる。そんなマリンをレオたちは固唾を飲んで見つめる。緊張は最高潮に達した。

「いくわよっ!」

 まほうのたまが深紅に変わりきった瞬間、マリンは土砂に向かってそれを投げつけた。

 

 ドゴオォォォォォォォォォォォォォォォン!

 

 閃光と共に轟音が洞窟中に鳴り響いた。無数の岩の破片が空中を舞った。衝撃波にあおられて空気そのものが震える。レオたちは思わず腕で顔を覆った。

「みんな、大丈夫か?」

 レオが仲間の様子を確認する。彼自身は岩の破片で擦り傷を負ったものの、大事には至っていない。

「うん、大丈夫。すごい衝撃だったわね」

 砂煙にせき込みながら近くにいたルナが呼応した。

「でも、無事に成功したみたい」

 視界が晴れると厚く積もっていた土砂の大半は消え去り、奥に下り階段が姿を現した。しかし、ルナが成功に安堵したのも束の間、砂煙の中にひれ伏す人影に気づいたレオの表情が凍り付く。

「マリン!」

 声を張り上げ、駆け寄る。マリンの身体には爆発による土砂が直撃したのだろう、外套は裂け、身体には生々しい傷が刻まれていた。

「ミルク! 回復を!」

「は、はい!」

 ミルクも青ざめた表情でマリンに駆け寄り、両手をかざす。

「ホイミ!」

 柔らかな光がマリンの全身を包み込んだ。赤黒く濡れていた傷口はゆっくり閉じ、流血も止まっていく。裂けた皮膚が再び結びつき、まるで時間を巻き戻したかのように元の形を取り戻していく。しかし、肝心の意識が戻らない。

「ホイミが効いてないってこと…?」

 ルナが心配そうに治療の様子を見つめる。

「いえ、傷は癒えています。理由は別にあるはずです」

 ミルクがそっとマリンの胸に耳を当てる。洞窟の冷たい空気の中、耳元でかすかな鼓動が確かに響いた。

「心臓は正常に動いています。命の危険はなさそうです」

 しかし、依然としてマリンは動かない。一同に重苦しい空気が漂う。その時、ミルクがマリンのわずかな異変に気付く。

「まさか…」

 今度は鳩尾に手を添えて、息を凝らす。

「お休みになられているみたいです」

 温かな皮膚の下、規則正しい呼吸がゆっくりと上下する。

「ね、眠ってる…?」

 ルナが意識を研ぎ澄ますと、確かにマリンの規則正しい寝息がはっきりと聞こえてきた。

「大丈夫…ってこと?」

 ルナの投げかけにレオはうなずくとこの状況について推察する。

「魔力を使いすぎたのかもしれない」

「どういうこと?」

「マリンはまほうのたまに相当の魔力を込めていた。彼女の身体が耐え切れなかったのかもしれない」

 この睡眠は彼女の生命にとって非常に重要なものかもしれない、とレオは付け加えた。

「そうすると無理に起こすのは得策ではないな」

 リックが周囲を見回し、指を差す。

「そうだ、入口近くに休憩室がある。そこで休ませよう」

「僕が運びます」

 レオがマリンを慎重に抱きかかえる。彼女の身体は驚くほど軽く、どれだけ魔力を振り絞り、使い果たしたのかを物語っていた。

 

「うーん…」

 結局マリンはそれから一時間ほど眠っていた。やがて瞼を開け、気怠そうに彼女が上体を起こした時、仲間たちの顔に明るさが戻った。

「心配したよ」

 レオが胸を撫で下ろす。

「なによ、心配って…あれ、あたし、まほうのたまを使って…」

 寝起きのせいか、マリンはまだ頭がぼんやりしているようだ。

「今までずっと眠っていたのよ」

 ルナが優しく声をかける。

「あら、そう。それは悪かったわね」

 口ではそう言いながらも特に悪びれもなくマリンは肩をすくめた。

「あの玉、思ったより魔力を使うのね。あたしでギリギリだなんて」

 先程のレオの推察のとおり、彼女が今まで眠っていたのは一度に魔力を使いすぎて身体に過度の負担がかかったせいだという。

「何事もなさそうでよかった」

 レオの背筋から緊張がほどけていく。

「くっくっく…あたしがそう簡単に死ぬわけないじゃない」

 レオの心配をマリンは軽く笑い飛ばし、身体を伸ばした。

「起きたばかりですからまだ安静になさった方が…」

「もう大丈夫よ」

 ミルクの配慮は不要とばかりにマリンはスッと立ち上がり、先に行くよう促した。

 洞窟の内部を把握しているリックを先頭に、五人はどんどん奥へと進んでいく。石畳はしっとりと冷え、靴底に重く湿気がまとわりつくようだった。天井からは水滴がぽたりぽたりと反響する。

 やがて、地下三階に着くと、広間の奥の方に不思議な光景が待ち構えていた。そこには小さな湖のようなものがあった。しかし水ではない。青白い光が渦を巻き、絶え間なく空気を吸い込み続けている。

「なにこれ…?」

 謎の存在を前に、ルナは驚嘆の声を上げた。

「あれが旅の扉だ。あの中に入ると別の大陸にある旅の扉まで移動出来るんだ」

 リックの説明によれば、旅の扉とはすなわち瞬間移動装置である。

「船を使わずに他の大陸にどうやって行くのかずっと不思議に思っていたけど、こういうことだったのね」

 アリアハンから別の大陸はどこからも遠い。航路でなく陸路でどうやって他の大陸に行くことができるのか、という彼女のかねてからの疑問が解消された。

「これも理屈を聞くより、実際に使ってみた方が早いわ」

 マリンが旅の扉に入ろうと一歩踏み出した、その時――

「待ってくれ!」

 引き止めたのはリックだ。

「すまないが、ここで俺はお別れだ」

 リックには名残惜しさがにじむ。しかし、彼はアリアハンの兵士長として、いざないの洞窟の土砂を取り除くためにここまで同行してきただけであり、本来レオたちの旅に加わる予定はなかったのである。

「そうでしたね」

 レオは寂しそうな表情をして応じた。

「助かりました」

 レオに続いて全員がリックに対して頭を深く下げた。

「こちらこそだ。いざないの洞窟を復旧できたのは君たちのおかげだ」

 そして、力強く宣言する。

「レオ、お前が留守の間のアリアハンは俺に任せろ」

「頼みます」

 レオとリックががっちりと力強く握手した。リックはレオの握る力強さに改めて感心した。

「それじゃ、今度こそ行くわよ」

 マリンが先陣を切り旅の扉に身を投じる。光に包まれた彼女は渦に吸い込まれるようにゆっくりと消えてしまった。

「私も行きますね」

 ミルクがリックに改めて一礼し、旅の扉に飛び込むと彼女の姿もふっと消えた。

「仕組みは分かったけど、やっぱりちょっと怖い…」

 まだ残っているルナは、扉を見つめたまま小さく息をのんだ。そんな不安そうにする彼女の手をレオがそっと包み込むように握りしめる。

「一緒に入ろう」

 優しく、しかし揺るぎのない声。

「あ、ありがと…」

 ルナは思わず俯く。手のひらに伝わる温もりが胸の奥まで広がり、頬が熱を帯びる。リックはそんな二人のやりとりを微笑ましく思う。

「先に行った二人が向こうで待っているはずだ。さあ、行ってやれ」

 リックが先に行くよう促す。

「レオ、ルナをしっかり守ってやれよ」

「必ず守り抜いてみせます」

 レオもここまで来ればもう覚悟はできた。それを聞いたルナは耳まで真っ赤になってしまった。そんなルナに気付かず、レオはルナの手を引っ張り、旅の扉の前まで来た。

「ルナ、行こう」

「うん!」

 合図と同時にレオとルナも旅の扉に入り、その姿を消した。

(魔王討伐はお前たちに任せる…俺も俺のやるべきことをしなくてはな…!)

 消えゆく二人の影を見つめながらリックは固く決心し、薄暗い洞窟の道を戻り始めた。

 こうして、レオたちはまだ見ぬ世界への第一歩を踏み出した――その先に何が待ち構えているのか、それは誰にも分からない。

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