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04  Boys in town 1

「うん、よく似合っているわよ」

「さすがはわしの孫じゃな」

 母ソフィアと祖父ライアンの言葉に、レオは口の端を結び、静かにその言葉を胸に刻んだ。それだけで、彼の内心の感謝と、ほんの少しの照れが伝わる。

 今日は彼の16歳の誕生日。そして、父オルテガの遺志を継ぎ、魔王討伐の旅へと旅立つ日でもあった。

「派手すぎないかな」

 ソフィアが丹精込めて用意したという装いは、紫を基調としたマントに、丁寧に縫われた革の手袋と丈夫なブーツ。普段着慣れないその立派な服に、レオはどこか落ち着かない。

「いいの。まずは恰好が大事よ。お父さんみたいな軽装をしていちゃダメよ」

 ソフィアは、レオのマントの裾を軽く整えながら、その姿にかつてのオルテガを重ねている。

「動きやすいし、悪くはないよ」  

 レオは軽く肩をすくめ、マントを翻す。思ったよりも軽やかで、布地は風になじみ、長旅にも適していそうだった。

「よかった。母さん、一晩中かかって仕立てたのよ」

「ありがとう」

 レオはそっと視線を落とし、手袋の端をきゅっと引き締めた。

「忘れ物はない? やくそうとどくけしそうは忘れずに持っていかなくちゃ」

「過保護だよ」

  たった一人の息子にソフィアが注ぐ愛情はひときわ深い。

「僕ももう16歳だから」

 アリアハンでは16歳になると成人として認められる。今日、レオは一人前の人間としての一歩を踏み出す。

「ふぉふぉふぉ。それだけレオが可愛いということじゃよ」

 ライアンが陽気に笑う。

「何歳になってもレオは母さんの息子…大事な、大切な宝物なのよ」

 その目元に、光るものが一筋。ソフィアはそっとそれをぬぐい、ふうっと息をついた。

「そろそろ時間ね。王様がお待ちになっているわ」

「ああ」

 レオは背中に剣を背負い直し、大きく深呼吸をした。これで、準備はすべて整った。

 「母さんたちはここで見送るわ。本当なら城門まで行きたいけど、何度もレオの顔を見たら別れが辛くなっちゃうから…」  

 ソフィアの声はややかすれていた。堪えていることは一目でわかる。

 レオは一歩近づき、母の手を取った。小さくて温かいその手を、しっかりと握りしめる。

「大丈夫」

「レオ…」

 その短い言葉に込められた強い意志と、穏やかな優しさ。ソフィアは込み上げるものを飲み込み、そっと目を閉じた。

「行ってくる」

 手を離す瞬間、レオの指先に名残が残る。ソフィアはほんの一瞬だけ寂しげに微笑み――けれどすぐに、強くうなずいた。

「必ず生きて帰ってくるのよ…必ずね」

「頼んじゃぞ。オルテガ亡き後、魔王を討てるのはレオ、お前だけじゃ」

 その言葉を、背に受ける。扉を開け、光の中へと一歩踏み出す。

 レオは振り返らなかった。背後に残してきたものすべてを、確かに心の中に抱いて。そして、目の前に広がる未来へと、静かに歩を進めていった。

 

 これからアリアハン王アーク10世に謁見し、本格的な旅立ちとなる。城まではそれほど距離はない。だが、家を出てからの一歩一歩はどこか重たく、足元に広がる街の景色は、いつもより鮮やかに映った。風に揺れる街路樹の葉音、陽光を反射してきらめくアスファルト、朝のさわやかな空気の中行き交う人々――どれも見慣れたはずの光景であるが、今日だけはひどく胸に迫ってくる。もうすぐ、当たり前だった日々から自分は旅立つのだ。そんな実感が、少しずつ、確かに心を満たしていく。

 道具屋の前を通り過ぎ、城につながる橋へ差しかかった時――

「レオ!」

 背後から聞こえたのは、聞き慣れた声。レオは立ち止まり、その声に振り向く。

「ルナ」

 旅立ちの日に見送りに来てくれると言っていた彼女。毎日のように顔を合わせていたのに、明日からはしばらく会うことができない。彼女の顔を見ているだけで言葉にならない寂しさが込み上げてきた。

「まずは、お誕生日おめでとう」

「ありがとう」

 ルナに言われてレオは今日が自分の誕生日だということを思い出す。出発のことばかりに気を取られて、自分でもすっかり忘れていた。

「いよいよ出発ね…」

「ああ」

 ルナは一歩、レオに近づいた。ここしばらく、ルナの表情は曇りがちだった。旅立ちを前にした彼女の心のうちが、ずっと気になっていた。今日の彼女は、明るく振る舞っているが、その瞳には何か、別の決意の色が宿っている気がする。どこか覚悟を決めたような雰囲気――レオにはそれがはっきりと感じ取れた。

「どうした?」

 レオが尋ねると、ルナは小さく息を吸い込んだ。

「出発前にごめん。急なことで言い出しにくいんだけど…」

 まっすぐにレオを見つめて言った。

「お願いがあるの」

 その響きに、レオは無意識に背筋を正した。ルナの頼みなら、どんなことでも聞いてあげたいと思った。しかし、彼女の次の言葉は彼の想像を超えていた。

「私も…旅に連れて行ってほしいの」

「…!?」

 一瞬、言葉が出なかった。

 レオが旅に出ることは、彼女も幼い頃からよく理解していた。けれど、これまでルナが自分から同行を望んだことは一度もなかった。

「…両親を探したいの」

「いらっしゃるじゃないか」

 ルナの両親は、共にアリアハンで健在だ。昨日、レオもきちんと別れの挨拶を済ませたばかりである。

「ううん、違うの。本当の両親を探したいの」

「本当…?」

 その言葉の真意を図りかねて、レオは眉をひそめた。

「さっき、お父さんとお母さんから聞かされたの。私、生まれたばかりの頃に海に捨てられて海岸に漂着したらしいの。それを二人が見つけて、拾って育ててくれたって…」

 ルナは言葉を継いだ。その表情は真剣だった。ただ真実を、淡々と、けれど震えるように告げていた。

 レオは、目を伏せる。確かにルナはアリアハンの女性としては極端に小柄だったし、家族とも似ていない。それでも、彼女が拾い子だなどとは一度たりとも疑ったことはなかった。彼女のことは誰よりも理解しているつもりだった――それなのに。

 「もちろん、今のお父さんとお母さんには感謝をしているし、大好き。でも、本当の両親に一度でいいから会ってみたいと思ったの」

 ルナは少しうつむいて、続けた。

「お父さんがレオと一緒なら行ってもいいって言ってくれたの」

 レオは、しばし黙ったまま彼女を見つめていた。

「レオの邪魔はしないから…お願い」

 その声には、迷いと覚悟が同時に込められていた。その口調の中には、彼女の本気が見える。そうして投げかけられた視線を、レオはしっかりと受け止めた。

「…」

 それは、これまでに何度も自問してきた問いだった。彼女を旅に連れて行くべきなのか。本当に守り切れるのか。自分に、その力はあるのか。レオはずっとその答えを出せないままでいた。どうしても確証が持てなかった。

「…ごめん、今のは忘れて。迷惑だよね。レオの旅には立派な目的があるのに、両親探しなんて、あまりにもわがままだよね」

 レオの反応を見たルナは、気まずそうにそっと視線を伏せ、引き下がろうとする。

「いや」

 ずっと考えてきて、それでも答えを出せなかったこと。本来であれば、この場で即答できるはずもない。けれど、もう迷っている暇はない。今は――決断するしかなかった。

 不安そうに見つめてくるルナの瞳を、レオはまっすぐに見返す。

 そして――

「一緒に行こう」

 彼は、自分の心にようやく素直になる決心がついた。

「い、いいの…?」

 ルナの表情がぱっと花が咲くように明るくなる。瞳が潤んで、笑顔がこぼれる。

「来てほしいんだ」

 その言葉にははっきりとした意思と優しさがあった。

「今から王様に挨拶してくる。ルナはその間に支度をしてきて」

「…うん!」

 ルナは勢いよくうなずくと、くるりと踵を返し、嬉しそうに駆けて行った。短い影が朝日を伸ばしていく。軽やかな足取りはまるで子供のようだった。

 残されたレオは、その背中を見送りながら小さく息を吐く。心が軽くなったわけではない。むしろ、責任はさらに増した。

 それでも――今の自分には、確かな決意がある。

 前を向き直した彼は、ゆっくりと歩を進めた。その足取りはしっかりとしていて、城へと続く道に一歩ずつ、確かな音を刻んでいった。

「よく来たレオよ。そなたの父オルテガは大変勇敢な人物であった。その父の後を継ぎ旅に出たいというそなたの願い、しかと聞き届けたぞ」

「ありがとうございます」

 ここはアリアハン城の謁見の間。現在アリアハンは他国との国交に慎重であり、国外に出るには王の許可が必要とされている。

「ふむ。ではポコ、例の物をレオに」

「はっ。レオ、これは我が国からのせめてもの餞別だ。遠慮せずに受け取ってくれ」

 大臣ポコが差し出したのは、ずしりとした重たい袋だった。中には金貨がぎっしり詰まっている。

「恐れ多くて、いただけません」

 レオは袋を返そうとするが、王は笑みを浮かべて首を横に振った。

「そなたの父オルテガの功績に比べたら、そんなものは微々たる物だ。北のレーベで武具を揃えるなど、旅の資金として役立てて欲しい」

「ですが」

「ううむ、そなたも父に似てなかなか意固地だな」

 それでも、アークはレオが固辞するであろうことは見越していた。そこで、ひときわ重みのある一言を付け加えた。

「その袋を受け取らない限り、冒険の許可は出さん」

 あまりにも強引な条件でではあるが、これもまた王なりの不器用な優しさなのだろう。レオは覚悟を決めてその袋を受け取った。

「うむ、それでよい。ではレオよ、行ってまいれ! 期待しているぞ」

「御期待に沿えるよう精進いたします」

 レオが一礼しかけたとき、王がふと思い出したように付け加えた。

「おお、そうだ、一つ言い忘れておった。旅立つ前にルイーダの酒場に立ち寄るがよい。あそこには各地の旅人が集まっておる。情報や仲間が得られるかもしれぬ」

「承知いたしました。では、行って参ります」

 王に深く一礼をして、レオは謁見の間を後にした。

 城門を出ると、朝より少しだけ強くなった風が顔を撫でた。陽光の射す道を戻ると先程別れた場所にルナが立っていた。

「その恰好は…?」

 いつもはピンクや白のかわいらしい服を着ている彼女が、緑を基調とした装飾の少ない質素な服に身を包んでいる。胸元には『龍』の一文字が黒く染め抜かれており、その筆致はアリアハンの文字とは異なる。

「私が海岸に捨てられていたとき、この服とこの爪が一緒に置かれていたらしいの」

 そう言ってルナは手につけた鉄製の爪を見せた。鋭く長いその爪は、武器というよりまるで猛獣の鉤爪のようだ。

「服の大きさもちょうどよかったし、これを身に付けていれば、もしかしたら私に気付いてくれる人がいるかもしれないと思って」

「ずいぶんと特徴がある服だな」

「やっぱり…変? 嫌?」

 ルナがいつも暖色を好むのは、レオに少しでも自分をかわいらしく見せたいという意図があってのことだ。この服の色に対するレオの反応がよくなかったように感じて、彼女は不安になった。

「そんなことないよ。ただ、その胸の文字が気になったんだ」

「私にも分からないの。多分、私の生まれ故郷の文字なんじゃないかしら?」

 彼女の声に宿る思いを、レオは黙って受け止める。この服と爪は、ルナにとって失われた過去を探すための、数少ない糸口なのだ。レオは服の胸元に目をやりながら、心の中で静かに思った。

――どんな小さな痕跡でも、きっと手がかりになる。

「さあ、行きましょう」

 はやる気持ちのルナを、レオが制する。

「出発前にルイーダさんのところに寄ろう。仲間の候補をルイーダさんに推薦してもらうようにお願いしてあるんだ」

 王に言われずとも、レオはルイーダという女性にすでに話をつけてあり、旅立つ前に立ち寄るつもりでいた。

「さすがはレオ。少しでも仲間が多い方が安心よね。ルイーダさんのところに行きましょう」

 二人は並んで歩き出す。その背中は、今しがた別れた家族や王の想いを背負いながらも、確かに前を向いていた。

 そして今――彼らの長い旅が幕を開けようとしていた。

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