01 Future world 1
いつの時代も世界は混沌としている。
今は昔、世界は戦争の脅威に曝されていた。
アリアハンという島国がある。
他の大陸から隔絶されたこの小国は、孤島とも呼べる地形ながら地理的には一つの大陸圏として広く認知されていた。
かつてのアリアハンはその規模の小ささゆえに人口は少なく、労働力も他国に比べて大きく劣っていた。気候は高温多湿で農業や酪農には向かず、近海も潮の流れが速く、波が荒いため漁業も困難。
このような厳しい環境にあっては、アリアハンは必然的に国際貿易に依存せざるを得ず、財政は慢性的な赤字に陥っていた。
この状況を打破しようと、時の国王アーク5世は思い切った対策に乗り出した。
まず、形骸化しつつあった軍事産業に莫大な資金を注ぎ込み、脆弱な軍隊を再編成した。
次いで造船業に着手し、『造船奨励法』を発布。商船と漁船が少数しかなかった船舶数を急速に拡大し、国際法に定められた保有数を上回る軍艦まで建造し、軍備を強化した。
軍事力が整うと、アリアハンはついに植民地政策を開始する。その方針は明快で、主要国が集中する北半球には目もくれず、アリアハンに近い南半球の諸地域を集中的に侵略した。
この方針は、当初こそ見事な成功を収めた。南半球は主要国の影響が及んでおらず、一つ一つの利益は小さくともアリアハンの財政を潤すには十分だった。また、南半球では長らく戦争とは無縁で、各国はアリアハンの武力侵攻に全くと言っていいほど対応できなかった。
結果として、アリアハンの侵攻からほどなくして南半球のほぼ半分がその支配下に入ることとなった。
この植民地政策はわずか5年という短期間で行われたことから、後に『アーク5世の5カ年計画』と呼ばれ――そしてそれは、世界史上最大の『愚策』として記録されることとなる。
少々の植民地政策には目をつぶってきた他国も、アリアハンの行きすぎた武力行使にはさすがに黙っていられなくなった。非難の声が相次ぎ、アリアハンへの抗議活動が活発化した。しかし、アリアハンはますます勢力を強化し、ついには北半球にまで進出しかねない勢いを見せ始める。
そこで他国は国交断絶、経済制裁といった強硬策に打って出た。当初こそアリアハンは態勢を崩さなかったが、植民地政策を取る一方で依然として貿易に依存していたため、やがてそのしわ寄せは明確な形で現れる。アリアハンの国力が低下していくにつれ、植民地奪還の動きが起こり、実際いくつかの国は奪還に成功。時が経つにつれて、結果的にアリアハン経済は5カ年計画以前よりも深刻な状況に陥ったのである。
この惨状を憂慮した3代後の国王アーク8世はこれまでの政策を一気に転換。アリアハンが保持していた全ての植民地を返還するという大胆な決断を下す。この英断により、孤立していたアリアハンの信頼は徐々に回復。ようやく各国による経済封鎖は解かれ、国際社会への復帰への道筋が見え始めた。
現国王アーク10世の治世となると、前々王アーク8世の政策の方針はさらに強化される。彼は5カ年計画が過ちであったこと公に認め、造船業の廃業、自由貿易の禁止、武具輸入の制限、出入国の大幅な制限など徹底した内向きの政策を打ち出した。軍の廃止など、国内の反発が大ききかった政策は一部撤回されたものの、その一連の政策によって世界から『戦争の脅威』はほぼ完全に排除されたと思われた。
しかし、アリアハンが平和を手にしようとする一方――世界には新たな脅威が芽吹いていた。
「どうしたものか…」
アリアハン国王アーク10世は自室で独り呟き、天を仰いだ。そして、手にしていた一枚の書状を机に置くと、腕を組み、険しい顔で正面を見据える。
「…おっと、はしたないな」
苛立ちからか、無意識に動いていた足を止めて、思わず苦笑する。
「話には聞いていたが、まさか本当に行動に移すとはな」
手元の書状、それは『国際連合』からの正式な通達だった。国際連合とは各国が協調して設立した国際機構であり、加盟をもって初めて国家として国際的に承認される取り決めがある。
その中心を担うのが『常任理事国』と呼ばれるいくつかの国々で、彼らは年に一度、本部が置かれているダーマで会議を開き、世界情勢や対策を話し合う。会議の決定事項は、会議に参加できない『非常任理事国』には書状という形で送られる。今、アークが読んでいるのはまさにその一通である。
アリアハンは現在非常任理事国に属している。かつては常任理事国であったが、アーク5世の植民地政策を理由に除名処分を受け、前国王アーク9世の代で再加盟を許されたものの、その条件は永久に非常任理事国であること。これは、アリアハンが国際政治の舞台で主導権を握ることが永遠に不可能となることを意味していた。
「せめて、自国が議題に挙がった時くらいは呼んでもらいたいものだな…」
アークは嘆息する。非常任理事国は、どのような議題であっても会議に出席できず、決議内容にも意見を述べることは許されていない。それがどれほど自国に不利益なものであっても。とはいえ、さすがに各国首脳の集合体である常任理事国が極端に偏った議決をすることはないのだが、今回ばかりは違う。少なくともアークにはそう思えた。
「有能な人材を派遣してくれ…か」
世界平和に関する項目の中にアリアハンの名があった。そこには近年、魔物の行動が各地で活発化していることを受けて、調査隊を結成する旨が記されていた。その上で、アリアハンからも一名、調査隊員を派遣してほしいというのだ。
「結局のところはあいつを出してくれということなんだろう」
紙面には名前こそ書かれていないが、アークにはすぐに思い浮かぶ顔があった。その人物こそ国際連合が求める『有能な人材』であろうことは間違いない。
「腹を括るしかないか…」
アリアハンには拒否権がない。しかも今回は常任理事国を含む各国が調査隊を派遣するという議決である以上、アリアハンだけが不参加という訳にはいかない。
「むう…」
立ち上がって、気晴らしに窓から顔を出す。しかし、夜空に輝く無数の星々は、彼の眼には何一つ映らなかった。ただ、果てしない闇が広がっているようにしか見えなかった。
王室は、許可が無い限り一切の入室が禁じられている。その許可が下りることは滅多になく、アーク以外の人間がこの部屋にいるのは、まずあり得ないと言っても過言ではなかった。
「で、俺に用って何だよ。謁見の間か会議室じゃなく、わざわざこんなところに呼ぶなんてよ」
しかし、今この王室で声を発したのはアークではなかった。声の主は、王から入室を認められた男。そして、何よりも異例なのは、この男からの要望ではなくアーク自らが招いたという点にある。
「うむ…たいへん言いづらいんだが…」
アークは件の書状を取り出し、男に手渡した。
「オルテガ、この調査隊にアリアハン代表として行ってきてもらいたい」
「何だ、そんなことか」
男――オルテガは笑い出した。アークはいきなりの笑い声に思わず呆気に取られる。
「な、何がそんなにおかしいんだ」
「いや、お前が深刻そうな顔をするから何かと思ったぜ。たいへん名誉なことじゃないか。断る理由がねえよ」
オルテガは正義感が強く、同時に楽天的でもある。話を切り出せば進んで参加を申し出るであろうという予測はついていた。問題は今のオルテガを取り巻く環境であった。
「お前、ソフィアさんが妊娠したそうじゃないか」
オルテガは、アリアハン一の美女と謳われたソフィアという女性と1年前に結婚した。式はアーク主導のもと盛大に行われ、仲人も彼が務めたほどだった。オルテガとアークは、位こそ兵士と国王と差があるものの、古くからの親友である。そんな親友の妻が身籠ったとあっては黙っているわけにはいかなかった。
「知っていたのか」
「当たり前だ。私を誰だと思っている。どうして言ってくれなかった」
このようなめでたい話はオルテガの口から直接聞きたかった。しかし、どうやらオルテガにそのつもりはなかったようだ。
「…私に遠慮しているというのならそんな必要はないぞ」
アークにもククルという立派な妻がいた。ククルもソフィア同様、結婚してからほどなくして身籠り、夫婦生活は順調そのものだった。
しかし、出産は思いもかけない難産となった。医師の話によれば、手は尽くすが母子共に救うのは極めて難しいとのことだった。どの選択をしても、最悪の場合は、母子共に助からない。考える余裕があるのは当然ながら当事者のククルよりもアークでの方だったが、正しい答えなど出せるわけもない。迷っている間にも容態は悪化していく。彼が苦悩する一方でククルはすでに覚悟を決めており、その意思が尊重されるのに時間はかからなかった。彼女の容体が急変したのだ。
結果として子は無事にこの世に生を授かった――尊いひとりの犠牲によって。
アークは自分の決断力の無さが彼女を死に追いやったのだと悔いていた。医師の言う通りであったと頭では理解していても、もし自分にもっと決断力があれば二人とも助けられたのではないかと、納得できずに今もなお引きずっている。
「いや…そんなつもりはなかったんだがな」
ばつが悪そうに、オルテガは逸らす。
「まあ、いい。話を戻そう。調査隊の一員になるということは、ソフィアさんを置いていくってことなんだぞ?」
「分かっているさ」
「いつ調査が終わるかなんて分らんのだぞ?」
「分かっているさ」
オルテガのことをよく知るアークであっても、ここまであっさりと承諾されると戸惑ってしまう。
「そうは言っても…」
「お前の言いたいことはよく分かる」
アークの忠告をオルテガはうなずきながら遮った。
「でも俺が行かないとまずい事情があるんだろ?」
オルテガは書状の一文を指でなぞる。それはアークが何度も読み返した一文だ。
「この『アリアハンから一名』っていうのは俺のことなんだろ? 鈍感な俺でもそれくらいは分かるさ」
オルテガは別に慢心しているわけではない。彼の名は世界的に知られており、その強さは『世界一』とまで称されるほどだ。しかし、近年アリアハンの軍は弱体化が顕著で、志願者すら減少している。そんな中、アリアハンから一人選ぶとなれば、知名度・実力とも彼以外に考えられないのが実情だった。
「たまにはお前の顔を立ててやらなくちゃな」
オルテガは誰に対しても気取らない。アークはそんな彼を気好いているが、礼儀作法がなっていないと目をつけられることも多く、親友のアークにもそのとばっちりが及ぶことがあった。
「オルテガ…すまないな」
「いいって。後は俺が死なないように祈っててくれよ」
「馬鹿なことをいうな。お前に死なれたら、俺はソフィアさんと生まれてくる子供に顔向けできん」
「そうだな。でも…」
オルテガの表情が変わる。今までと違って、真剣そのものだ。空気が張り詰める。
「魔物を放っておけないほどに増えていうのは穏やかじゃねえな。覚悟はしなきゃならねえ」
「私はお前なら大丈夫だと信じている。いや、確信している」
根拠はない。だが、オルテガという男はそれほどまでに信頼に足る人物であることを、アークは誰よりも知っている。
「そう言ってもらえると嬉しいぜ…おっと、そろそろ時間だ」
「用事でもあるのか?」
「今日は訓練の日だろ。決めた本人が忘れてどうすんだよ」
アリアハンでは週に一度、軍人が全員集まって合同練習を行っている。以前は毎日のように行われていたが、アークの指示で週一回に変更されたのだ。
「あ、ああ、そうだったな」
「しっかりしてくれよ。じゃあ、俺は行くぜ」
オルテガは立ち上がり、扉の取っ手に手を掛ける。そこで、ふと思い出したように一言添えた。
「俺がいない間の我が家のこと、頼んだぜ」
「それは任せておけ。安全は保障する」
「頼りにしてるぜ。じゃあな」
力強く扉が閉った。いかにもオルテガらしい、豪快な音だった。
オルテガがいなくなった部屋で、アークはこれで良かったのかと深く考え込む。
――利己的な決定ではなかったか?
――いや、世界平和の為だ。
――オルテガである必要があるのか?
――いや、オルテガは世界から望まれているのだ。
(決断力の無い男が国の長だなんて、ふざけた話だ…いっそのこと、オルテガにでも…)
オルテガが調査隊の一員として旅立った後も、アークの心が晴れる事は無かった。
兵士長に連れられて、謁見の間に一人の女性が少年の手を引いて姿を見せた。兵士長は任務が終わるとそそくさと場を離れた。
「御足労いただき申し訳ない」
通常、王は玉座に腰掛けて面会するのが習わしだ。しかし、この日のアークは立ったまま彼女を迎えていた。
「いえ、そんな…」
か細い声を女性は漏らした。顔に化粧はなく、青ざめた肌は息苦しさを訴えている。急いでここまで来たらしく肩で息をしていた。呼び出しの理由をすでに察しているのだろう、王はその表情を直視するのをためらった。
つないだ手の先には、まだ幼い少年がいる。その小さな命を思うと、アークは口を開くことにさえもためらいをおぼえた。
「夫に…セーヴに、何かあったのですね」
重苦しい空気を破ったのはオルテガ・セーヴの妻――ソフィアだった。かつてアリアハン一の美女と謳われた面影はない。やつれ、痛々しささえ漂っていた。
「それが…」
「よい、ポコ。私がきちんと伝える」
アークの隣に控える大臣のポコが代弁しようとしたが、アークは手で制した。自ら告げるのが、せめてものけじめだと思ったのだ。ポコは黙って下がる。
「たった今、ポルトガの兵士が報告に来た。オルテガは…」
アークは言葉を切り、唇を噛み締める。続く言葉を告げれば、現実を受け入れることになる。だが、逃げるわけにはいかなかった。
「…火口に落ち、命を落としたそうだ」
「そう…ですか」
ソフィアは弱々しく俯いた。やはり察していたのだろう。感情を露わにすることなく、じっと受け止めているように見えた。
「…申し訳ない」
いくらオルテガでも、火口に落ちて助かるはずはない。希望を口にすることは、かえって残酷だ。アークにできることは、誠意ある謝罪だけだった。
「でも、どうして火口に…夫がそんな最期を迎えるなんて私には信じられません」
彼女の声は冷静だった。豪快に見えて、実は用心深い夫が不注意で火口に落ちるとは思えないのだ。
「それは…」
報告には理由も記されていたが、アークは言いよどんだ。不安を煽るだけかもしれない。だが、ソフィアは必死に頭を下げる。
「もし理由を御存知でしたら…どうか教えてください」
彼女の悲痛な願いを前に、アークも覚悟を決めて告げる。
「奥方は、オルテガが魔物の調査のために旅立ったのは本人から聞いておろう。その調査の結果、分かったことがある。それが――魔王の存在だ」
「魔王…ですか」
「にわかには信じがたい話ではあるが…」
アーク自身も魔王の存在を最初に示唆されたときは疑った。
「調査中に討った魔物が何度も魔王の存在を漏らしたという」
魔物の中には人の言葉を理解し、言語を操るほどに知能の発達した者も少なからずいたらしい。
「それで、調査隊はその目的を魔王討伐として進んだのだが、その途中、オルテガは魔物の部下と戦い、火口に落とされた」
「そんな…あの人が…」
ソフィアは崩れ落ち、両手で口元を覆って涙をこぼす。世界一とまで称された夫が戦いで命を落とした――その現実は、誇り高き妻にはあまりにも重い。
「母さん、安心して」
初めて少年が口を開いた。母が泣き崩れている姿を見て、幼い心に芽生えた決意が言葉になる。
「父さんの仇は僕が討つ。僕が大きくなったら、必ず魔王を倒す」
アークとポコが思わず顔を見合わせた。母を慰めるための言葉ではない。まっすぐな少年の決意だ。その瞳には、力強い光が宿っている。オルテガの魂は、この少年に生きている――アークはそう思った。
「レオ…ありがとう…」
母は涙を流しながら息子を抱きしめる。その胸の奥に、希望の灯はまだ消えていなかった。